消えゆく青春の追憶



南こうせつとかぐや姫のあの名曲「神田川」(1973年・昭和48年)はこんなフレーズから始まる。

貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭 マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
洗い髪が芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った

そして二番にはこんな詩が続く

窓の下には神田川
三畳一間の小さな下宿


X7DYAr6mB0h1BFO1550722617_1550722684.jpg


この曲は、僕の青春と時期を同じくする1970年代の若者文化を象徴する作品のひとつとして有名だ。

また、「同棲時代」という言葉が流行ったのもこの頃である。

作詞したのは文化放送で放送作家をしていた喜多条忠であるが、依頼をしたのは南こうせつの方である。

喜多条は学生時代に高田馬場近くの三畳一間の下宿に住んでおり、その思い出をもとにこの詩を書きあげたそうだ。


実は南こうせつは電話でこの歌詞を聞いた時、メモを取りながらすでに頭の中にはメロディが浮かんでいたという。

なるほど大ヒット曲とはこうして生まれるものなんだろうと思う。

僕が惹かれたのはこの時代背景もあるが、特に「横丁の風呂屋」と「下宿」という言葉である。


今更説明するまでもないと思うが、「下宿」とは部屋代、食費などを払って契約期間中、他の家で暮らすことであり、またその家や部屋の事をいうとされている。

そうだ「下宿」と言えば、二葉亭四迷の小説「浮雲」(1887-1889)の中にも多用されている。

例えば、主人公である内海文三とお勢は結婚を考えていた仲であったが、ある日文三のライバルである本田を巡って口喧嘩となる。

お勢は、もう文三の顔も見たくないと言って母親に向かって「慈母(おっか)さん、今日から私を下宿さしておくんなさいな」と懇願している。

「下宿」という言葉がいつから使われるようになったのかは知らないが、まあこのくらい一般的でかつ年季が入っているという事だ。

また、アパートやマンションと比べてみた場合、下宿の方はは大家さんが同居しているものだと考えてみればいいと思う。


少し横道にそれてしまったが、この「横丁の風呂屋」と「下宿」という二つの言葉の中に実は僕の甘くてほろ苦い青春がぎっしりと凝縮されているのだ。

今回はその消えゆく青春の追憶を辿ってみたい。


■青春を象徴する場所・下宿

ではさっそく僕の下宿を案内してみることにする。

まずは北池袋駅から川越街道方向の住宅街に向かって歩いていく。

入り口は大家さんとは別で右端の木戸を開けると隣家との壁に沿って狭い通路がある。

行き止まりの左側、つまり丁度向こう正面が出入口となっている。

入り口を入るとすぐ右がトイレ、左には炊事場と洗濯機があるがすべて共同使用で風呂も食事もない。


ZHZOIvRN9DWUD1J1550758545_1550758750.jpg


一階右に一部屋あってその先を進んでいくと正面に襖がある。

その襖の奥は大家さんの居住スペースとなっている。

襖の右手前に階段があるので登ってみよう。

結構狭くて急な階段なので気を付けて。

階段を登りきると右手に2部屋、そして突き当りを左に進むと左右に1部屋ずつ。

更にその先の正面には左右に1部屋ずつある。

この正面の2部屋と一階の部屋だけが6畳で、あとはすべて3畳という間取りになっている。

余談だが、僕はこの3畳の部屋に何度も入ったことがある。

しかし、思ったより狭くてとても同棲できるような空間とは思えなかった。

で、僕の部屋はどこかというと、その正面の左の方の部屋である。

つまりグルリと一周したので僕の部屋は道路に面したところに位置する事になる。

これが後日ある悲劇を生むことになる。

では僕の右隣の部屋は一体誰の部屋かと言えば、大家さんの二女の部屋であった。

彼女は全日空のスチュワーデス(今のCA)であり歌手の八神純子に似た素敵な女性だった。

今になって思えば僕の部屋はきっと嫁いだ長女の部屋だったに違いない。

この家の間取りから考えてみてもそうとしか思えない。


二女のすぐ隣に男の僕が住んでいて、しかも下宿人もすべて男性ときている。

これは実に危険な状況ではないのか。

そう、二女はサファリパークの中を肉をぶら下げて歩いているようなものだと思ったのだ。

しかし、残念ながら彼女はほとんど家に居なかったため滅多に顔を合わせる事はなかった。

したがって「浮雲」のような展開とはならなかったのである。

そもそも浪人のくせにそんな不遜な事を考えること自体がもはや人間失格である。


■ドラマは合格発表の時から始まった

更にもう1年浪人する事は経済的にも絶対に許されなかったので、とにかく僕は片っ端から受験した。

高校で落ちこぼれた僕の必死のあがきでもあった。

早稲田、慶応、明治、学習院、青山学院、法政

そして結果はすべてに合格した。

ここで普通ならば慶応を選ぶ人が多いと思う。

しかし何の事はない、僕が慶応を蹴った理由は不合格通知の後、少しして補欠合格という知らせが届いたからである。

従って悲しいかな、今もって僕の財布には「福沢諭吉」が近寄って来る気配さえない。


さてこうして僕の夢と希望に満ちたキャンパスライフが始まる

・・はずであった


しかし待っていたのはカレッジブルーである。

何もやる気が起きなくて怠惰な毎日の繰り返しであった。

信念も大した志(こころざし)もない人間は得てしてこうなる。

だが大学生活にも慣れてきた頃に同級生の彼女ができたのである。


gy0gSlXglHQImgU1550758077_1550758346.jpg


■このタイミングの悪さは筆舌に尽くし難い

ある日の夕刻の事である。

滅多に来ないはずの彼女が僕の部屋に食料を持って一人でやって来た。

いい調子で話もはずみ、やがて夜更けになった。

正にその時である。

外からなんやら叫び声が聞こえてきた。

「お~い、戸崎~、俺だよTYだよ~、終電がなくなったので泊めてくれよ~」

このTYは学友であり、勿論彼女とも知り合いであった。

「これはまずい」・・僕と彼女は焦った。

慌てて電気を消す。

とっちゃん最大のピンチの瞬間である。


「お前がいるのは電気が点いてたんで分かってるんだ、早く開けろよ~」

この時ほど道路に面しているこの部屋を恨めしく思ったことはない。

それにしても何というタイミングの悪さであろうか。


さらにその声は続く

「木戸のカギが締まってるんで中に入れないんだよ~」


オイオイ、絶対にお前を部屋の中に入れる訳にはいかないぜ。

お喋りなお前にバレたらあっという間に学校中に広まってしまう。

僕と彼女はじっと声をひそめてしゃがみ込んだ。

別に鉄砲の玉が飛んでくる訳でもないのに、人はこういう場合何故かしゃがみ込む。

二人ともドキドキしているはずなのにどちらからともなくクスクス笑いだした。

結構しつこく続いたTYの声は、どうやら諦めたのか急に聞こえなくなった。

僕たち二人の胸には、安堵感と後悔のチョッピリ複雑な感情が漂っていた。

お陰でいいムードはぶち壊しとなった。


閑話休題☕☕☕☕☕


実はこの話には後日談がある。

それからしばらく時が過ぎた。

ある日突然TYが僕の部屋にやって来た。

彼は部屋に入るなりこう切り出した。

「戸崎~、この前はえらい目に会わせてくれたな、お前あの夜Yちゃんと一緒にこの部屋にいただろ?」

こいつはこういう感だけはやけに鋭い。

僕が絶対にカギを開けなかった理由を懸命に考えたのだろう。

しかしそれでも本当の事を言う訳にはいかない。

僕はしどろもどろになりながら言い訳をした記憶があるが、そのうち彼は買ってきたお菓子の袋をゴミ箱ではなく部屋の中に捨て始めた。

「なんだよ、ちゃんとゴミ箱に捨てろよ」そういうと彼はこう切り返してきた。

「だってお前の部屋ってすげえ散らかってるから部屋全体がゴミ箱だと思ったんだ」

なんと憎たらしくて失礼な言い草だろう。

どうしても僕に文句の一つでも言いたかった気持ちはわかる。

案の定、彼は部屋中をゴミだらけにして帰っていった。


この話は卒業して随分と経つのに彼と会うたびに必ず口にしてくる。

大の親友であるくせに、この話の時だけはいつも薄気味悪い微笑みを浮かべて僕を見つめるのだ。


■横丁の風呂屋には誰と行ったのか

もうひとつ引っかかった言葉に「横丁の風呂屋」があると書いた。


EAtq1MYzvVu02mN1550722722_1550722795.jpg


先程案内したのでお分かりだと思うがこの下宿には風呂がない。

だから実際に「横丁の風呂屋」つまり「銭湯」に行っていたのだ。


僕はエッセイを書くにあたっては、常に可能な限り事実確認をすることにしている。

そこで家内に聞いてみた。

「あの北池袋の下宿に来た時に僕と一緒に銭湯に行ったことはあるかな」と・・

その答えは素早くて鋭かった。

「ない、絶対にない、私じゃないから。あんた当時よくもててたから別の人と行ったんじゃないの?」

止めときゃよかった、やっぱり眠っていた獅子が目を覚ましたようだ。


実は家内とは僕が大学3年になる年の冬に長野県のあるスキー旅館でアルバイトをしていた時に知り合っていたのだ。

これで僕が何故家内に「銭湯」の事を聞いたのかがご理解いただけたと思う。

その後、いくつかの奇跡が重なってやがて結婚することになったのである。


そう言えば僕の下宿先には5年の間に実に多くの人たちが来ている。

そのうち女性はそう多くはないのだが、銭湯に一緒に行った女性だけはどうしても思い出せないのだ。

いやひょっとすると本当は誰とも一緒に「銭湯」なんかに行ってないのではないだろうか。

それはあの名曲「神田川」が僕に与えた幻想なのかも知れないと、近頃そう思うようになってきた。


■人の感性を狂わせるのは時の流れだけなのか

考えてみれば人の因果とは尾車のようにクルクルと回って元に戻ってくるものである。

実は僕は社会人になってから一度だけこの青春時代を送った下宿を訪ねている。

当時の大家さんご夫妻はとっくに他界されているのは年賀状で知っていた。

表札を見ると不思議な事に苗字が変わっていない。

あの二女は確か医者と結婚したはずだか婿養子だったのか、それとも姉妹のどちらかが離婚して旧姓を名乗っているのか。

そんな想像が瞬時に頭を過(よぎ)った。

外観は木造から鉄骨造りの立派な屋敷に変貌していた。


しばらくためらっていたが、突然の事でもありどうしても僕にはチャイムを押す勇気がなかった。

ひとしきり懐かしさを噛みしめた後、しばらくして僕はその場を去った。


ふと訪ねてみようと思ったキッカケはこれも運命の悪戯なのだろうか。

地方で三か所の転勤を経て東京に戻ってきた。

その東京で二か所目の支社長を命じられたのが偶然にもこの池袋だったのである。

まるで何かに導かれているようだった。


最後に「追憶」に関してもうひとつ触れておきたい事がある。

当時神戸に住んでいた家内はよく暇を見つけては僕の下宿に遊びに来ていた。

お金も時間もかかるのによくマメに来るものだと感心していた。


cZ4tY390×390jiMT0mcxxO1550722511_1550722520.png


しかし時の流れとは残酷なものである。

小さな石鹸はカタカタいわないが、小さな事についてガタガタ言われる。

ここからは神田川は見えないが、やがて「三途(さんず)の川」が見える時がやってくる。


そして今ではすっかり僕は再び下宿人という存在になってしまっている。

因果は巡り、歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。


ところで、釣った魚にエサはやらないとよく聞くが、僕達夫婦の場合どちらが釣り人なのか未だによく分からないでいる。

これらの事すべてが正に「消えゆく青春の追憶」そのものかも知れない。

S・T